「忘れられるのが一番つらい」

インストラクター養成クラスで学んでいらっしゃる谷崎ゆかり様が、
被災地に行かれた体験をエッセイに綴られました。
転載の許可を頂きましたので、どうぞ皆様 お読みになり、なにかを感じて頂けましたら嬉しく思います。
 

         「忘れられるのが一番つらい」

                                                                                                         谷崎ゆかりさん (川崎市在住)

     †被災地に行きたい!

 2011年3月11日。全てが変わった日。
何か自分にできることをと、節電をし、義捐金を出し、救援物資を送ったけれど、本当は被災地に行きたい。
この目で何が起こったのか、実際に見ておきたい。 そして少しでも何か、現地でできることがあれば・・・
でもどうやって? どこに行けばいい?

そう思っていたら、ボランティア募集のメールがヨガの先生より送られてきました。
何でも彼女の親友が気仙沼に何度か足を運んでいて、現地の状況を良く知った上で、必要な物をみんなで届けたいという。
バスも都内から出してくれて、現地の宿泊場所や三度の食事も確保してくれるとのこと。
二人の息子たちも大学生と高校生になり、それぞれ自分のことは自分でやってくれるし。
これは行くっきゃない!と、即、行きますメールを返信し、晴れて7月2日~3日、気仙沼に行ってきました

 †太陽の光が・・・

 1日目。総勢32名は朝8時に元気に吉祥寺を出発。
バスの中では、それぞれ自己紹介をしたのですが、今回のボランティアを企画してくださった「アースマンシップ自然環境教育センター」(http://www.earthmanship.com/)の関係者が多く、なんともいい雰囲気。
それぞれが、少しでも何かできればという熱い思いを持っていて、老若男女がすぐに意気投合。行きのバスの中から、
このメンバーでボランティアができるなんてうれしいなあという気持ちが、膨らんだのでした。

途中何度かトイレ休憩をして、渋滞もあり、実際に気仙沼に着いたのは夕方4時近く。7時間かかりました。
現地でご自身が被災されたのにもかかわらず、ボランティア団体を立ち上げ活動を続けておられる
「ゲットバックス気仙沼」代表の渡辺さんと、前日から準備のために現地入りしていた、「アースマンシップ」のメンバー3人と合流しました。

津波のあとの火災で、全てが燃やされてしまい、ガランとしていた気仙沼市内。
でも道を隔てた反対側は、まるで何事もなかったかのように家が建ち並んでいる。
両側に山を望み、海に面した風光明媚な町は、今ほとんど人が住んでいないといいます。
津波により一階部分は住める状態ではないそうです。

瓦礫の撤去が進み、区画の跡が残るのみになった市内を歩いていると、片方だけの長靴やCDなど、いたるところに生活用品が。
ここに確かに人々が住んでいて、普通の生活を営んでいたんだ、という事実がいやおうなしに胸に迫ってくる…。

仲間と共にしばし黙祷。すると、曇っていた空から太陽の光が。
まるで犠牲になった方達が、私たちに微笑んでくださったように思えた、不思議な現象でした。

 †テント初体験!

被災地を後にして、その晩泊まる予定のキャンプ施設へ。
国立公園にもなっている半島にある、広大な芝生のその場所には、これも巨大なテント(3~10人用)がいくつも立ち並び、テント初体験の私の期待は大きく膨らむ!
こんなきれいな所で、真っ暗闇の中、満天の星が見られるかもしれない! 
夜が来るのが待ち遠しいのでした (結局曇り空で星見えず。残念!)。

その後聞いた話では、もともとその場所はキャンプ場ではないのですが、
天理教の人達が震災直後から被災地支援に入り活動するうちに、そこを活動拠点として貸してもらえたそうです。
そして今回、そのうちのいくつかのテントを、無償で私たちに貸してくださったのです。

天理教の方達には本当に感謝です! 
朝は5時から犠牲になった方達に祈りを捧げていて、宗教が違っても(私は無宗教なのです)同じ気持ちを持った人間同士が同じ場にいることに、気持ちが安らぎました。

 †フリーマーケット開設!

 2日目。 いよいよ朝からボランティア活動。
「アースマンシップ」が普段から吉祥寺で開いているカフェを、現地で出張カフェ。
合わせて必要物資を供給するためのフリーマーケットや、それぞれの人ができることをということで、
マッサージや、手作りアクセサリーのコーナーも開設することに。
活動場所の、鹿折(ししおり)中学校の敷地に建つ仮設住宅のところで、着々と準備が進みます。

何でも鹿折中学では、仮設住宅と避難所(体育館)がお互い見えるところに建っていて、
仮設住宅に入ると三度の食事も含めて一切の援助がなくなり、光熱費も自分で払わなければならなくなる。

一方避難所は物資の調達はあるけれど全くプライバシーがない、ということで、
すぐ近くで互いの生活が見えるだけにお互いをうらやむ感情も生まれているそうです。

一緒につらい思いをしている同胞同士だと思うと、胸が痛みます・・・。

朝10時30分開店に向けて、集会所内でフリーマーケット(無料)の準備をしていると、一人のおばあちゃんが私のすぐ横に。
「私はズボンが今はいてるのしかないの。どれかサイズが合うのがないかしら・・・」
あれ? もう開店してるんだ、 と思って、ウエストゴムの動きやすそうなズボンを探して渡すと、おばあちゃんの顔が笑顔でくしゃくしゃに。

喜んでもらえて良かった! と思っていたら、え? まだ開店30分前! 
商品を持って外へ出て行ってしまうと、他の人たちもどんどん入って来てしまう! 
あわてておばあちゃんを探しに行くと、ちょっと隠れたマッサージコーナーで、気持ち良さそうにマッサージをしてもらっている・・・。

気がつくと外では開店を待つ長蛇の列。
おばあちゃん、どうやって入り込んだのだろう? 
まあせっかくいい気持ちでいるし、ちょと不公平だけど他の人には見られていないし、良しとしよう(ダメ?)。

 †子供達は遊びたいんだ!

そうこうするうち、いよいよ開店。
私はおもちゃコーナーにいたのですが、来ること来ること、大勢の子供達。そして同じ子が何回も! 
他の子の事も考えて、「もういっぱい持って行ったから、あと1つだよ」 「お友達も連れて来てね」 と声をかけても、
また性懲りもなく兄弟そろって現れる。
お父さんも近くでもらうよう促している! でも何度も来てくれたおかげで会話も弾み、客足が途絶えた時、
その兄弟と商品の紙風船(すみません)でバレーボールをすることに。

その時にわかった。
こんなに子供達は遊びたいんだ、触れ合いたいんだということを。
目的はおもちゃをいっぱいもらうことではなくて、こんな時間を求めていたんだということを。
二人の兄弟ヤマトとトモヤの目はキラキラしていて、真剣そのもの。 私も思わず遊びに気持ちが入り込む。

 午後の部は、マッサージコーナーのお手伝いをすることに。
プロのマッサージ師が休暇をとって駆けつけている横で、毎週ヨガのレッスンで練習しているマッサージの腕前を披露?! 
少しでもくつろいでもらえたらと、一つ一つのつぼ押しに気持ちを込める。

 その間、マッサージのお礼にと、手作りのお茶、コーヒー、郷土菓子を差し入れてくださった仮設住宅住まいのおばあちゃん。
大変な状況なのに、私たちのために心のこもった差し入れをくださるとは!

そして一緒にボランティアに励んでいる仲間たちも、入れ代わり立ち代わり、「飲み物ある?」「お昼食べた?」と気遣ってくれて、暑いだろうとうちわで扇いでくれたり、逆にマッサージをしてくれたり。

一瞬一瞬やることがあって、休む時間がなかったけれど、なんて濃い充実した時間だったんだろう! 
最後にマッサージをしてさしあげた若いお母さんは、終始無言だったのが、20分くらい経って体も心もほぐれてきたのか、「あちこち痛いし、震災後は夜眠れなくてね」「お父さんも坐骨神経痛になっちゃって・・・」とつらい事情を話してくださいました。

 †かけがえのない人に

さて、朝、抜け駆け(?)をしてズボンを持っていったおばあちゃんは、午後にはそのズボンをはいて、また遊びに来てくださいました。
別のニコニコ顔のおばあちゃんは、ずっと私たちのことを気遣ってくださり、一人一人にありがとう、ありがとうと声をかけ、泣いている子がいれば抱っこしてあやし、私たち以上に働いていたのでした。

ヤマトとトモヤは別のお兄ちゃん、お姉ちゃんと紙風船バレーに興じ、かくして初めて会った人達は、午後には自分の知っているかけがえのない人達に変わっていったのでした。

3時に閉店後、後片付け。
ほとんどの物が飛ぶようになくなった! これでほんの少しでも、暮らしが快適になってくれればうれしい。

でも何より本当に濃かったこの時間。
お互いに共有できたかけがえのない時間に、私はエネルギーをもらいました。

ニコニコおばあちゃんは、最後に一人一人にありがとうと言いながら泣き出し、私たちもタオルで目を覆う。
ヤマトとトモヤは「バスまで送る!」と一緒についてくる。

またここで、みんなに会いたい! 

 忘れることはできない!

帰って来てからも、一人一人の顔が浮かんできて、どうしているだろうと思いをはせる日々。
「忘れられるのが一番つらい」と被災地の方が言っていたそうです。
現地でふれあってしまった私は、皆のことを忘れることはできません。

そこに実際に行かないとわからないことがありました。
この経験から、たくさんの人に被災地に行ってほしい! そこにいる人達と、一緒に時間をすごしてほしい! 
と強く思いました。

川崎に戻り一日経った夕食時、家族にボランティアの様子を話していると、最後には感極まって泣いている自分が。
それぞれがお互いに思いやる気持ちに満ちていて、とっても濃かった現地での時間にたくさんのパワーと元気をもらったはずなのに・・・。
気がつくとそこには感傷的になっている自分がいました。
やっぱり被災地の人達が大変な思いをしていると思うと、心は晴れないんだ。
少しでも早く、当たり前だった日常を、当たり前に過ごせるようになってほしい!

気仙沼で買ったお酒“絆”には、“一歩一歩前進”、“必ず復興します” と書かれています。
「アースマンシップ」も、またボランティアを企画してくださるそうです。

私たちは常にあなたたちと一緒にいます!                                                     

           「㈱ライフサポート社 ウェブマガジン 月刊ライフサポート2011年8月号より」 

         

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                       (写真提供:アースマンシップ)                      

 

 

                  

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